マンガは心の友です
マンガは万人が分かり合える共通語のような気がします。
時代の良いところも悪いところも表す鏡のような気もします。
マンガ家の祈り(売れますように、食えますように、そして人気が出ますように)が込められたものであるような気もします。
マンガのはじまり
日本人が、マンガを描いているとか、マンガを読んでいるとかを意識したのは江戸時代の後半からでしょう。
それ以前は一葉一葉の独立した絵(ブロマイド)であったり、観光ガイドであったり、小説の挿絵であったりしたようです。
世界の漫画の歴史を紐解けば、古代の4大文明の話しも出てくるかもしれませんが、現代のマンガの定義と、当事者たちの意識は、同じではないでしょう。
結局、芸術というのか、落書きというのか、それともマンガというのかは、ひとえに鑑賞する人の感性によるのかもしれません。
コミックという言葉も当初はおかしな、滑稽なモノを指していたようですが、多くの作品群が登場するにおよんで、今でいうマンガ全般を指すようになって、滑稽なモノだけを指さなくなりました。
言葉が生き物であるように、マンガを含めた精神活動もどんどん変化していきます。ですから、異論ではありますが、私にとっての洞窟壁画もマンガであるのです。
洞窟壁画
洞窟壁画はマンガであるという説は、全く誰も言っていないのですが、写真で観ていても引き込まれそうな心持ちになるのは、マンガを夢中で読んでいる状態と同じになる私の個人的感覚によるものなのです。
だから、マンガのページに洞窟壁画があったからと、鵜呑みにしてはいけません。
世の中の通説を信じている人は、マンガは4万年前からあったと言ってはいけません。
洞窟壁画には、スペインのアルタミラ洞窟とか、同じくスペインのラス・モネダス洞窟、ドイツのホーレ・フェルス洞窟、フランスのラスコー洞窟があります。
一番古い洞窟壁画は、フランスのショーヴェ洞窟の絵で、これは3万2千年前のものと考えられています。
一般的な題材は、バイソン、馬、オーロックス、鹿など大型の野生動物で、ネズミのミッキーやハムスターのハム太郎が人間と同じ生活や行動するという場面は一切ありません。
生活する集団(社会)を茶化したり、批判したり、笑い飛ばしたりするようなこともありません。
何事かに向かって黙々と描いていたものと想像します。 この情念は、現代のマンガ家(当然、一流の画家にも)に相通ずるものだと思うのです。
鳥獣戯画
法隆寺に残された落書きの類を漫画と呼ぶのであれば、それは日本に現存する最古の漫画ということになるでしょう。
落書きではなく、積極的に描き残そうとした意図が見て取れる漫画としては、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて作成された絵巻の鳥獣戯画が挙げられます。
正式な名前は「鳥獣人物戯画」で国宝です。甲巻、乙巻、丙巻、丁巻の4巻からなっていて、甲巻のウサギとカエルが相撲をとっている場面が有名です。
でもこれは甲巻のほんの一部分で、次のウェブページで甲巻の全体が眺められます→(http://akituya.gooside.com/choujyu_allall.htm)。
登場する動物は、キツネ(犬?)、ウサギ、カエル、サルが擬人化されていて、馬(猪?)はそのまま家畜として登場しています。
コマ割も吹き出しもないので、現代からみると、これがマンガかな?と思うのですが、専門家(?)に言わせれば、一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られるらしいのです。
吹き出しがないので、見る人が想像を豊かにして、自分なりのストーリーが作れるという、贅沢な自由がありますが・・・。
というわけで、日本最古の漫画に認定されています。マンガが国宝です。現在の「コミック」も千年単位で生き残れば「国宝」になるのかもしれません。
北斎漫画
作者は浮世絵師の葛飾北斎です。1760年10月31日?(1600年が関ヶ原の戦い)に生まれて1849年5月10日(1868年が明治元年)に90歳で亡くなっています。
当時としては非常に長生きをした方ですね。版画や肉筆画、読本、挿絵、絵本を多数発表しました。
「北斎漫画」は北斎が54歳の時に絵手本として発行したスケッチ画集で、人物、動植物などのさまざまなポーズや当時の風俗などのシーンが約4000ほど描かれています。
天才北斎は、この作品にとどまらず、生涯にわたって3万点にわたる作品を発表しています。
漫画という言葉の由来は、1798年に発行された絵本「四時交加」の序文に、山東京伝による「気の向くままに描く(漫然と画く)」という意味の言葉として使用されたところからきているそうです。
そして、北斎漫画(1814年)により、戯画風のスケッチを指す「漫画」という言葉が広まったそうです。
石森章太郎氏は漫画のジャンルの広さや描いた作品の多さから、漫画の帝王と呼ばれていますが、北斎の生まれ変わりだったのでしょうか(考えすぎですね)。
北斎漫画が国宝になるには、まだ800年ほど足りません。
マンガは移り変わる
江戸時代から続いた「戯画」(おかしみのある絵、戯れに描いた絵、随筆風の絵、風刺画、カリカチュア)の流れと、明治時代に外国から入ってきた「コミック」や「カトゥーン」の訳語としてのマンガの流れ、そして戦後の「コミック」「劇画」「ストーリーマンガ」「アニメ」などの一般を表す流れの3段階があるようです。
明治時代は外国から大量の先進文化が流入した時期です。
日本人は目に見えて変わっていく世の中を驚きと恐れと期待で見続けてきました。
新聞や雑誌などの新しいメディアも続々と登場してまさに情報の洪水の中で新しいものを吸収してそして日本のモノとしていったような気がします。マンガも、北斎漫画の伝統から、西洋文化の色濃いマンガに変化していきました。
そして第2次世界大戦の戦後は日本のマンガは雑誌ばかりではなく、映画やテレビとタイアップして日本人に広く親しまれました。
終戦直後のマンガの多くは、アメリカのマンガ映画に大きな影響を受けていたようです。とくにディズニーのマンガ映画の影響は大きくて、人物等の絵のタッチが丸っこいのは、ミッキーマウスや、白雪姫のタッチの影響であると考えられています。
やがて、劇画タッチの絵柄も登場します。風刺や面白さだけがマンガなのではなく、恐怖や異次元、異形の世界を描くなどジャンルはどんどん広がっていきました。
マンガは続くよどこまでも
新聞に掲載されている1コまや4コママンガ、週刊のマンガ雑誌、月刊のマンガ雑誌、季刊のマンガ雑誌等に掲載されて人気を博したマンガは、やがて単行本となって、世の中に再登場します。
雑誌に掲載されて喜んでいても人気が出なかったならばストーリーの途中でも容赦なく打ちきりです。
せっかく連載ができるようになったと思っていたのに・・・・。
読者の人気を得ることの難しさ。読者であっても、気に入っているマンガが読めなくなってしまう悲しさと、単行本でも読めない寂しさを味わってしまうのです。
読者なのに、読者の思うようにならない、人気という魔物が、漫画家とそのマンガのファンを襲うのです。
「釣りバカ日誌」の北見けんいち氏は今では国民的な漫画家です。でも彼が少年漫画誌に掲載した「まんばかまん」の単行本は知りません。
ウェブ百科のウィキペディアにも作品としては掲載されていません。でも、覚えている人、「まんばかまん」が好きだった人にとっては、北見氏のマンガ歴から落としてはならない作品だと思うのです。
でも、そんなモンだと思います。
単行本にしてもやはり売れないし、私のような人間でなければおもしろがらないと思うのです。
マンガは大衆文化です。多数の人の支持がなければ日の目を見ないのです。しごくまともな評価基準なのです。
メディアの多様性に合わせてマンガはどんどん変化(進化)していくのです。書き手も、読み手も、紙という媒体から電子という媒体への過渡期を今経験しているようです。
書き手は、描画ソフトでパソコンでマンガ原稿を仕上げている時代ですし、読み手もiPadのような電子書籍で購読する時代です。
そして3Dマンガが配信する時代も間もなくのような気がします。
そして・・・マンガの将来
マルチメディアの発達によって、マンガの表現方法も多彩になってきました。
でも、デフォルメされた絵となにがしかの字とそして伝えたいことをストーリーによって表現することをマンガということは変わらないと思うのです。