マンガ家入門

マンガを読む、描く、研究する

 石ノ森章太郎氏の「マンガ家入門」と手塚治虫氏の「マンガの描き方」があります。そして「四コマ漫画〜北斎から「萌え」まで〜があります。

石ノ森章太郎のマンガ家入門

 1987年11月の自宅にて石ノ森章太郎氏は「石ノ森章太郎のマンガ家入門」のまえがきで、次のように述べています。

 

 

 「「マンガ家入門」正・続2冊は20年前に出版されました。・・・この本は、変わらぬ部分はそのまま残し、表面的に変化した部分を加筆して、2冊あわせて再編集したものです。」現在ではマンガを描くのもすっかりデジタル化されたようで、マンガ家になりたい人がこの本だけを頼りにするわけにはいかないようですが、マンガのなんたるかを知るにはとても貴重な本です。

 

 表面的に変化した部分を加筆して、とありますが、なにが変化したのでしょうか。削除された石森作品として「夜は千の目をもっている」「おかしなあの子(さるとびエッちゃん)」のふたつです」。前者は、戦後の日本を生きるサラリーマンが自分の会社を守るために戦時中の狙撃手の腕を使うのか・・というストーリーで、後者はベトナム戦争を舞台になぜ人間同士が争うのか・・・というシーンです。
 石ノ森章太郎氏がまえがきを書いた1987年の時点ですでに戦後40年を過ぎ、またベトナム戦争は終わっているため、テーマ的にもそぐわないと判断したのでしょう。

 

 

 絵を書く事が好きな子ならばマンガ家になりたいと一度は思うはずです。ノートに線を引いてコマ割りをして、鉛筆で好きなキャラクターが次々に書き込んでいって、自分だけのマンガを書き上げる喜びを知っている子供が次に思うことは、本格的にマンガを書いてみたい、それを本の形にしてみたい、と思うことです。

 

 そうすると、マンガ家入門の中に「同人誌」というキーワードを見つけます。石ノ森氏はマンガ同人誌「墨汁一滴」を作っていました。今ではコミケで同人誌を売っているというのは誰でも知っていることですが、マンガ家入門が出た頃は同人誌さえどう作っていいかさえも分かりませんでした。情報源といえば、マンガ週刊誌や旺文社の時代(中1時代、高1時代、蛍雪時代)、テレビは見るけど当然マンガ(アニメ)ばっかり、お父さんが見るテレビは、プリ野球かプロレスです。

 

 

 マンガ家が使う道具なんて知りません。「ケント紙」「烏口」「カブラペン」「Gペン」・・知らない道具ばかりでてきます。近所の文房具屋では売ってなかったなぁ。今みたいにネットショッピングなんてありえないし。漫画家のアシスタントになるって発想もありえません。マンガ家入門を読んで発奮するも、それ以上には前に進むことはありませんでした。それでもマンガが好きなことには変わりはありません。

手塚治虫のマンガの描き方

 マンガの神様がマンガの描き方をかいている!!、この文庫本をブックオフで見たときは「欲しい〜〜」と思い即買いました。

 

 

  この文庫本の初版が1996年7月20日で、手塚治虫氏が亡くなったのが1989年2月9日・・・。で、1977年5月の光文社刊を文庫化したものでした。

 

  解説の中に夏目房之助氏は秋田書店の「目で見る少年少女入門百科」シリーズの一冊に手塚治虫氏の「漫画のかきかた」昭和31年初版(1956年)があり、それを今でも大事に持っていると言っています。夏目氏小学校2年生の時に手にした本です。1956年漫画のかきかた、1977年マンガの描き方、1997年文庫本化、2016年ブックオフ文庫本入手、20年毎にイベントが起きている不思議を感じています。ま、2016年は私個人的なイベントですが・・・。

 

  天才は、なぜ描けないのかわからないので、教えることはできないのでは?という疑義は一掃されます。前出の石ノ森章太郎氏も天才ですから、その入門書を読んで育った私としては天才が・・と言える立場にはないのですが、手塚治虫氏の天才度は並外れているといえます。

 

  その超天才でも、スランプの時期があったのですから不思議です。そのスランプをどうやって乗り越えたのか。それは、「手塚は終わった」「時代遅れだ」との陰口を叩かれていようが我関せず、マンガをひたすらひたすら書き続けたのでした。マンガいがいのことで気分を変えるとかではくて、マンガと真っ向勝負を続けていたということです。だから、超天才だと思います。天才+努力、鬼に金棒です。

 

  超天才が少年少女向けに百科を書いている〜〜。それを小学校の時に読んだ夏目氏がマンガ家になり、そしてマンガに関する書籍を書き続けている。巡り巡っているなーとつくづく思うのです。

 

  マンガは世界共通言語です。戦中戦後はディズニーの映画に圧倒された時期があったかもしれませんが、手塚氏はその影響を受けて受けていたとしても、やがてそれを圧倒して凌駕してしまったと思います。手塚氏を筆頭に、その弟子や孫弟子たちがクールジャパンとしてマンガ文化を世界に蔓延させました。

マンガを研究する

 四コマ漫画〜北斎から「萌え」まで〜。マンガを読む、マンガを描く、の他にマンガを研究する、というのがあるのには驚きです。

 

 

 マンガが文化ならその研究することもやぶさかではない方々も登場するのかな。「のびたという生き方」を研究している大学の先生もいることだし。

 

 四コマ漫画に焦点を絞ってマンガの歴史を研究しているものです。マンガを一言で言うと「風刺です」と応えたのは手塚治虫氏です。本質が風刺ならば常に時代の雰囲気を反映したもの、あるいは時代を反映したものということができるかもしれません。ましてや、四コマに焦点を絞ることで、無限に拡散しそうな気配を見事に断っています。

 

 いつごろから四コマに定着したのか?え?・・四コマって、起承転結にぴったりと当てはまる最小の単位で、俳句みたいなものでしょう、疑いもなく思っていたので、へ〜そうなんだ、と思わずにはいられませんでした。そして、セリフ入り吹き出し、コマ割りはすでに江戸時代からあった、・・凄いぞクールジャパン。